東京に来て改めて思った事、二つ。
暑くて蒸している。
人が多い。
さすがに秋風を感じるようにはなってきたものの、
やはり暑くて蒸してます。
驚くのは、
それなのに、スーツの上着を持ったり(たまに来てる人までいる)、
上着は無いけどネクタイ締めたりしてる人がいます。
今朝などは、渋谷にある速読教室に出勤途中、
リクルートスーツに身を包んだ若者(男性も女性も)を多く見かけました。
日本人は体裁を繕う文化だなぁと思っていましたが、
ここでもソレが。
そもそもスーツ(ネクタイ)文化は、イギリスから渡って来たもの。
高温多湿の日本の気候にはあわないのに、
明治以降の西洋文化礼賛の風潮にのって広まったそうですが、
これに「体裁整える文化」が加わって醜いことになってます。
「武士は食わねど高楊枝」という諺があるくらい、
日本人は辛くてもやせ我慢して凛しているのを良しとする面があり、
そういうところは嫌いではありませんが、これはちょっと…。
暑い中黒っぽいスーツに身を包んだ若者諸君、頑張ってね!
(見てるこちらも暑苦しく感じるけど)
人が多い中、新宿駅の雑踏の中で10年以上振りに知り合いをバッタリ会いました。
元々、人とバッタリ思わぬところで出会ったり(なので、悪いこと出来ません)、
「どうしてるかな」と思ってると電話が掛かって来たり、
逆にそういうタイミングでこちらから電話したり、
ということが多いのですが、10年以上振りなので驚きも嬉しさもひとしおでした。
こういうのは眼に見えない「なにか」が働いているのでしょうが、
「見る」力も関係あるかな、と自分では思っています。
大抵見つけるのは私の方ですから。
最近は携帯等端末を見ながら、イヤホン(時にはヘッドホン)をして歩いている
人をよく見かけます。
こういう人たちは、周りを「見て」いません。
また、忙しそうにしてたり(忙しいって、「心が亡い」て書きますね)、
ぼ〜っと考え事してる人も、
「見えているけど見ていない」です。
人間は情報(知識という意味ではなく、周りの異変や雰囲気その他あらゆる情報)
の8割を視覚から得る動物だそうです。
私が10年間社員として、そしてその後2年あまり非常勤で講師をさせていただいている
速読教室 NBS日本速読教育連盟 では、
「文字を順番に読んで」いきます。
斜め読みやブロック読み、写真を見るようにぼ〜っと見る、というようなものではありません。
それだけに、「見る」集中と能力の開発がポイントになります。
そういう事を自分自身トレーニングし、
人に伝える仕事に就くようになった者としては、
上記のような世間一般の傾向は問題があると危惧してしまいます。
巷のいろいろな「ケアレスミス」も「見てない」が原因になっているものが少なくないと感じます。
そういう切り口で分析している人は少ないかもしれません。
ちなみに、
木村秋則さんの「眼と手が薬」という言葉を聞いて、
見る事を仕事にしてきた自分は農作業経験は無いけど何とか出来るはず、
と思えた事が、
あこがれに終わらずに就農に踏み切れた一因でした。